Monthly Archives: 10月 2017

店舗それぞれブックカバー

書店のレジで「文庫本にカバーをおかけしますか」と聞かれて断ったら「ありがとうございます」と言われました。以前はつけることが当たり前のようになっていましたが、いったいいつからこう変わったのでしょう。私は基本的に、汚れなどほとんど気にせずそのまま読むで、お店の物は必要ありません。しかし同行の友人は、購入した物すべてにしっかりつけてもらっていました。
省エネという意味では、おそらく断ったほうがいいのでしょうね。でもあのカバーって、本当はとても面白いのですよ。なにせ、店によってデザインが違いますから。かつて祖父は、それを何十枚も集めて楽しんでいました。子供の頃の話ですが、父が遊びに行くと、絶対に遠くの本屋に連れて行ってと言うんですよ。もちろんカバーのためです。他には、他県に住んでいる親戚が尋ねてきたときに、そちらの店のものを分けてもらっていたこともありました。
他には、古い切符やちょうちん、扇子などもコレクションしていましたね。紙の物が好きだったのかしら。ちなみにそれは祖父がなくなった時にそっくり、伯父さんが貰って行きました。今もきっと、リビングを飾っていることでしょう。

彼女が落語にはまった理由

友人が、落語を好きになりました。友達の付き合いで寄席に行ったのがきっかけだそうです。大きな装置があるわけでもなく、舞台に一人現れた着物の男性が、話しひとつで皆を笑わせる姿が、とても印象的だったのですって。さすがに有名な方となればチケットをとるのは大変ですが、趣味でやっている方を含めれば、毎月いろいろなところで、寄席は行われています。今はそれを調べて、近隣を熱心に通っているのだそうです。
ちなみに著名な落語家さんのCDも揃えたそうですよ。音楽には全く興味のない彼女が、そのために携帯の音楽プレイヤーを買ったというのですから、驚きです。それを毎日通勤しながら聞いていると、仕事で嫌なことがあっても、どうでもよくなってしまうと言っていました。
これほどまでに夢中になれるものがあるというのは、なんて幸せなんでしょう。私は本を愛していますけれど、ここまで一途になったことは、最近はないような気がします。だって、嫌なことがどうでもよくなるなんて、すごいですよ。私の場合は、落ち込んだ気持ちが明るくなる話はあっても、怒りが飛ぶものはありません。私もいつか、彼女ほどにはまれる作品に出会えたらいいなあと、心の底から思いました。

結婚の先にあるもの

少し前、知人女性が結婚しました。花嫁さんというのは、どうして皆美しいんでしょうね。白いドレスに身を包んだ彼女は、まるでどこかの国のお姫様のように見えました。親戚らしい小さな女の子が、くっついて離れなかった理由もわかります。きっと「私もこんなきらきらのドレスが着たい」と思っていたのでしょう。その子もピンク色の洋服を着て、とても愛らしかったのです。
しかしこうして知り合いの式に出る度に、私はこれがゴールではないのだよなあ、としみじみと思います。たとえば「昔々あるところに」で始まるお話の多くは「そして王子様とお姫様は結婚して、幸せに暮らしました」といったふうに終わるものが多いです。もちろん子供の頃は、それを信じていました。でも結婚生活の後には、子育てがあったり親の介護があったりと、難関はまだまだやってきます。むしろ式の当日が、幸福の絶頂じゃないのかと感じるほどです。
ただ私は、その後に続く話の方が好きだったりするのですよね。たとえば日々の生活を描いた日常エッセイは、恋愛小説よりもよほど親しみが持てます。恋が萌える幸せだとしたら、生活はたゆたう幸せ、と言いたいかな。時折は荒れる水の流れに、それでも身を任せ、家族とともにある……憧れです。